2008年02月25日
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徳川 吉宗(とくがわ よしむね)は、日本の武士・江戸幕府の第8代将軍。紀州藩第5代藩主。越前国葛野藩主。
徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。第7代将軍・家継の死により徳川将軍家の血筋が途絶えると、先々代の6代将軍家宣の正室である天英院に指名され、宗家以外からはじめて江戸幕府8代将軍に就任した。紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。幕府権力の確立に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行った。
破綻しかけていた幕府財政を再建したことから江戸幕府中興の祖と呼ばれる。また米相場の安定に腐心したことから米将軍(八木将軍とも呼ばれる)ともいわれる。
貞享元年(1684年)10月21日、徳川御三家の紀州藩2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる(次兄は早世しているため三男と数えられることもある)。母は紀州徳川家の召し使いで巨勢六左衛門利清の娘・浄円院(於由利の方)。母の実家は、紀州の地主で、古代の名族・巨勢氏の末裔を称する素封家であった。しかし、紀州藩主の母・側室の実家としては、身分が違いすぎた(百姓の娘であったとも言われる)。和歌山城の大奥の湯殿番であった於由利の方は、徳川光貞の目に止まり、湯殿において手がついたという伝説は有名である。母の身分に問題があったためか、幼年は家老の元で育てられ、やがて城中へ引き取られた。
(以上、ウィキペディアより引用)
享保の改革は有名ですよね!
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